小学生の頃、私は毎朝一人で起きていた。
継母は朝が苦手だった。起きてくることはほとんどない。だから朝の準備は全部一人でやっていた。
問題は朝ご飯だった。
その日の朝ご飯は、継母の機嫌で決まった。
機嫌がいい日は、ちゃんとした朝ご飯を作ってもらえた。それが一番嬉しい朝だった。
少し機嫌が悪い日は、「冷蔵庫の○○を食べていい」と教えてもらえる。りんご半分。または食パン1枚、何もつけずに。それでも食べられるだけよかった。
機嫌が悪い日は、何も答えてもらえない。朝ご飯は無し。そのままランドセルを背負って家を出る。
だから寝ている継母の部屋に聞きに行く。それが毎朝の日課だった。
ドアをゆっくり、音を立てないように開ける。
声をかける時のトーン。肩をトントンと叩く時の力加減。
少しでも継母の機嫌を損ねたら、最悪な朝になる。そのまま1日が暗くなる。それがわかっていたから、毎朝全神経を集中させていた。
毎朝、ドアを開ける前から祈っていた。
今日は機嫌がいい日でありますように、と。
でも正直に言うと、ドアを開けること自体が毎日しんどかった。
躊躇しながら、手をドアノブにかける。
ゆっくり、音を立てないように開ける。
その数秒が、毎朝たまらなく怖かった。
空腹のまま1時間目が始まる。
授業中、お腹が鳴らないかドキドキしていた。
でも、楽しみがあった。
給食だ。
休み時間のたびに、廊下に貼ってある給食のメニュー表を見に行っていた。
今日は何が出るんだろう。デザートはあるかな。
それだけで、つらい午前中を乗り越えられた。
給食の時間は、私にとって特別な時間だった。
おかわりしたい時、いつも少し迷った。恥ずかしいという気持ちがあった。
でも、おかわりできた日は本当に嬉しかった。
お腹いっぱい食べられる。それだけで、幸せだった。
今思えば、あの頃の私は食べることに必死だったんだと思う。家で満たされない分を、給食で補っていたのかもしれない。
子どもが毎朝、大人の機嫌を読みながら生きていること。
朝ご飯が食べられない日があること。
当時の私はそれが普通だと思っていた。
おかしいと気づいたのは、ずっと後のことだ。
次の記事では、そんな毎日の中で学校が私にとってどんな場所だったかを書きます。読んでもらえたら嬉しいです。
→次の記事に続きます

