普通の子どもは、学校が休みだと嬉しいと思う。
でも、私は違った。
学校が好きだった。
学校にいる間だけは、継母の機嫌を気にしなくていいからだ。
土日が嫌いだった。夏休みや冬休みは、もっと憂鬱だった。
長期休みが近づくたびに、私の心は重くなっていった。
あの頃の私にとって、学校は唯一ほっとできる場所だった。
◆ 先生の「ありがとう」が救いだった放課後
放課後も、できるだけ学校に残りたかった。
だから、先生のお手伝い募集には、いつも積極的に手を挙げた。
理由は単純だ。
先生のお手伝いなら、遅く帰っても継母に文句を言われない。
友達と寄り道して帰ると怒られるけれど、「先生のお手伝い」なら正当な理由になるからだ。
少しでも、家に帰る時間を遅らせたかった。
当時の担任は、優しい女性の先生だった。
お手伝いを終えると、「ありがとう」と笑顔で言ってくれた。
その一言が、たまらなく嬉しかった。
お手伝いをしながら、先生と何気ないおしゃべりをする時間も大好きだった。
今思えば、あの時間が私にとってどれだけ大切な心の支えだったか。
家では決して当たり前にもらえない「ありがとう」という言葉を、私は学校で、先生からもらっていたのだ。
◆ 友達と深く関われなかった本当の理由
友達は、そんなにいなかった。
決して友達が嫌いだったわけじゃない。
本当はもっと仲良くしたかった。
でも、仲良くなるのが怖かったのだ。
関係が深くなれば、当然「学校が終わったらうちで遊ぼう」という話になる。
お互いの家を行き来するのが、小学生の日常だった。
でも、私にはそれができなかった。
友達を家に呼ぶなんて、継母の機嫌が良い日じゃないと難しい。
それに、いつ機嫌が悪くなるかもわからない。
もし友達の前で怒鳴られたりしたら……。
そう考えると、最初から一線を引いてしまうのだった。
「うちは普通じゃない。家のことを知られたくない」
いつもそう思っていた。
もうひとつ、仲良くなるのが辛い理由があった。
友達が楽しそうに「お母さんの話」をするのが、羨ましくて仕方がなかった。
家族で行った旅行の話。
お母さんと一緒に買い物した話。
みんなが当たり前のように話すエピソードが、私にはひとつもなかった。
「いいな……」
そう思いながら聞くのと同時に、自分にはそれがないという悲しさも感じていた。
仲良くなればなるほど、自分に「ないもの」を突きつけられる気がして、私は深く関わることを避けていた。
今ならわかる。
私は友達を作るのが苦手だったんじゃない。
友達を作れない事情を、ひとりで抱えていただけだったんだ。
◆ 帰り道の20分と、玄関の前の数分
帰り道は、友達と一緒だった。
何気ない話をして、笑いながら歩く20分間。
その時間だけは、私はどこにでもいる普通の小学生だった。
でも、友達と別れて一人になった瞬間、現実に引き戻される。
玄関の前に立つと、足が止まった。
すぐには開けられなかった。
ドアを開ける前に、気持ちを整える必要があった。
さっきまで友達と笑っていた自分を、心の奥にしまい込む時間。
ドアの前で深呼吸をして、また「良い子」に戻る。
それから、ゆっくりとドアを開けた。
朝は、継母の部屋のドアを開けるのが怖かった。
夕方は、家の玄関ドアを開けるのが辛かった。
1日に2回、ドアを開けるたびに、私の心はぎゅっと縮こまっていた。
友達と笑い合った20分と、ドアの前で一人立っていた数分。
どちらが本当の私だったんだろう。
今でも、ときどき考えることがある。
◆ いま、学校だけが逃げ場になっているあなたへ
夏休みが始まる前日の夜、私はいつも憂鬱だった。
明日から学校がない。
あの優しい先生にも会えない。
長い長い休みを、あの家で過ごさなきゃいけない。
周りの子どもたちが「やった!夏休みだ!」と喜ぶ中で、私はひとり、布団の中で憂鬱な気持ちを抱えていた。
当時の私は、自分が変なんだと思っていた。
でも、違う。
学校が好きな子どもが変なんじゃない。
家が安心できる場所じゃない子どもが、学校に逃げ場を求めていただけなのだ。
もし今、あの頃の私と同じように、学校だけが唯一の逃げ場になっている子どもがいるなら伝えたい。
あなたがおかしいんじゃない。
その環境がおかしいんだよ。
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