「うちの親、毒親なのかな」
そう思いかけて、でもすぐに打ち消してしまう。
「いや、でも育ててもらったし」「暴力があるわけじゃないし」「自分の気持ちが弱いだけかも」
そうやって、自分の感覚を何度も何度もなかったことにしてきた人へ。この記事は、あなたのために書きました。
「毒親」って、言っていいのかわからない
わたしが継母との関係に「毒親」という言葉を当てはめることができたのは、家を出てから数年が経ってからのことでした。
4歳から35歳まで、継母と暮らしていました。暴言、暴力、細かすぎる干渉。でも長い間、それが「普通じゃない」とわからなかった。比べる相手もいないし、「親なんてそういうもの」だと思っていたから。
それに、「毒親」という言葉には、なんとなく重さがある。自分の口から言ってしまうことへの躊躇い。「大げさかな」「親のことをそんなふうに言っていいのかな」という罪悪感。
だから、迷っている気持ち、すごくわかります。
毒親かどうか、チェックしてみよう
「毒親」に明確な定義はありません。でも、こんなことが当てはまるなら、あなたが苦しいのには理由があります。
こころのサインを確認してみて
- 親と話したあと、どっと疲れる
- 実家に帰ることを考えると、憂鬱になったり体調が悪くなったりする
- 「親を怒らせないように」と、いつも顔色をうかがっている
- 自分の気持ちや意見を言えない、または言うのがこわい
- 親から褒められた記憶がほとんどない
- 何かあると「お前のせい」「あなたが悪い」と言われてきた
- 「感謝が足りない」「育ててやった」という言葉でコントロールされてきた
- 進路・恋愛・友人関係に過度に干渉された
- きょうだいと扱いが明らかに違った
- 親に「愛されている」と感じたことが、あまりない
1つでも「これ、わたしのことだ」と感じたなら、あなたの苦しさは本物です。数の多い少ないは関係ありません。
「暴力がなければ毒親じゃない」は本当?
よく、こういう声を聞きます。「うちは暴力はなかったから、毒親って言えないのかな」
そんなことはありません。こころを傷つける言葉、存在を否定するような態度、自由を奪うコントロール。体に傷が残らなくても、あなたのこころには深く刻まれている。それは立派な、本物の傷です。
わたしの継母には暴力もありましたが、もっとこたえたのは言葉でした。何十年分も積み重なった言葉は、体の傷よりずっと深くこころに残っています。
「大げさかも」と思うのはなぜ?
迷っている人の多くが、こんなふうに自分を責めます。「もっとひどい人がいる」「わたしなんかより大変な人がたくさんいる」
でも、考えてみてください。骨折した人が「もっとひどいけが人がいるから、わたしは痛くない」なんて言わないですよね。あなたが感じている苦しさは、ほかの誰かと比べて少なくなるものじゃない。
「毒親かどうか」というラベルは、誰かに認定してもらうものじゃなくて、あなた自身が「この関係はわたしを傷つけてきた」と気づくためのものだと、わたしは思っています。
わたしが気づくまでにかかった時間
気づくきっかけは、友人の一言でした。何気なく親の話をしたとき、友人に「それ、おかしいよ」と言われて。そこで初めて「あれ、ふつうじゃないのかもしれない」と思い、自分で調べ始めました。
「毒親」という言葉を知ったのは、30歳を過ぎてから。はじめてその言葉を見たとき、しっくりきた。ずっとモヤモヤしていたものに、やっと名前がついた感じ。「やっぱりおかしかったんだ」と、初めて自分の感覚を信じることができました。
気づくまでに30年以上かかった。
でも、遅くなんかない。
気づいたその日から、自分を守ることは始められる。
「毒親」という言葉は、武器じゃなくて鍵
「毒親」という言葉を使うことは、親を攻撃することじゃないとわたしは思っています。それは、「あの家で起きていたことには、名前がある」と気づくための鍵。
名前がつくと、ようやく整理できる。「あれはわたしのせいじゃなかったんだ」と、少しずつ思えるようになる。
あなたが感じている苦しさは、本物だよ
あなたが「つらい」と感じてきたこと、誰にも言えずに抱えてきたもの。それは全部、本物です。気のせいじゃないし、弱いわけでもないし、大げさでもない。
逃げることも、距離を置くことも、誰かに助けを求めることも、あなたにはその権利がある。
あなたが感じていることを、わたしは信じています。
