「毒親育ちの子ども時代①|「仕方ない」と自分に言い聞かせていた幼少期〜小学生編〜」

体験談

私は4歳の時、父の再婚で継母と暮らすようになった。

自分の本当の母親ではないことは、子どもの頃から知っていた。

継母から、「あなたは私の本当の子どもじゃない」と言われながら育ったからだ。

だから私は、ずっと「良い子でいなきゃ」と思っていた。

嫌われないように。迷惑をかけないように。

そんなふうに空気を読んで生きていた。


小学生になった頃、弟が生まれた。

私とは腹違いの弟だった。

継母は弟をとても可愛がっていた。

私と弟は誕生日が1週間ほど違う。

誕生日が近いから、一緒に祝ってもらえる。

そう思っていた時期もあった。

でも実際は違った。

ケーキのろうそくは弟の年の数だけ。「おめでとう」の言葉も、笑顔も、全部弟に向けられていた。私はその隣で、ついでに存在している感じだった。

どこかに出かける時も同じだった。

弟は継母に手をつないでもらい、前を歩く。私は荷物やゴミを持たされて、後ろからついていく。

家族の中に、私の居場所はなかった。

それでも私は、「仕方ない」と思っていた。

本当のお母さんじゃないんだから。私が我慢すればいい。

子どもの私には、それしか考えられなかった。


クラスの友達はよくお母さんの話をしていた。

一緒に料理をしたこと。休みの日に出かけたこと。

みんな楽しそうに話していた。

私はその話を聞きながら、「うちは違うんだから仕方ない」と思っていた。

継母は本当のお母さんじゃない。

だから優しくされなくても仕方ない。怒鳴られても仕方ない。

子どもの私は、そうやって自分を納得させていた。


その一方で、私は何かあるたびに怒鳴られ、叩かれた。

ある日、投げつけられたガラス茶碗が額に当たった。

額から血が流れ落ち、継母は慌てて病院へ連絡した。

夜の暗い病院。処置室の白い光。額に針を通されるたび、「バチバチ」という音が響いていた。

私は今でも、その音を覚えている。


これが私の幼少期だった。

怒鳴られることも、叩かれることも、当時の私にはそれが「普通」だった。

おかしいと気づいたのは、ずっと後のことだ。

中学生になっても、その日常は続いた。

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