毒親育ちの子ども時代③|学校だけが逃げ場だった話〜小学生編〜

体験談

普通の子どもは、学校が休みだと嬉しいと思う。

でも、私は違った。

学校が好きだった。

学校にいる間だけは、継母の機嫌を気にしなくていいからだ。

土日が嫌いだった。夏休みや冬休みは、もっと憂鬱だった。

長期休みが近づくたびに、私の心は重くなっていった。

あの頃の私にとって、学校は唯一ほっとできる場所だった。

◆ 先生の「ありがとう」が救いだった放課後

放課後も、できるだけ学校に残りたかった。

だから、先生のお手伝い募集には、いつも積極的に手を挙げた。

理由は単純だ。

先生のお手伝いなら、遅く帰っても継母に文句を言われない。

友達と寄り道して帰ると怒られるけれど、「先生のお手伝い」なら正当な理由になるからだ。

少しでも、家に帰る時間を遅らせたかった。

当時の担任は、優しい女性の先生だった。

お手伝いを終えると、「ありがとう」と笑顔で言ってくれた。

その一言が、たまらなく嬉しかった。

お手伝いをしながら、先生と何気ないおしゃべりをする時間も大好きだった。

今思えば、あの時間が私にとってどれだけ大切な心の支えだったか。

家では決して当たり前にもらえない「ありがとう」という言葉を、私は学校で、先生からもらっていたのだ。

◆ 友達と深く関われなかった本当の理由

友達は、そんなにいなかった。

決して友達が嫌いだったわけじゃない。

本当はもっと仲良くしたかった。

でも、仲良くなるのが怖かったのだ。

関係が深くなれば、当然「学校が終わったらうちで遊ぼう」という話になる。

お互いの家を行き来するのが、小学生の日常だった。

でも、私にはそれができなかった。

友達を家に呼ぶなんて、継母の機嫌が良い日じゃないと難しい。

それに、いつ機嫌が悪くなるかもわからない。

もし友達の前で怒鳴られたりしたら……。

そう考えると、最初から一線を引いてしまうのだった。

「うちは普通じゃない。家のことを知られたくない」

いつもそう思っていた。

もうひとつ、仲良くなるのが辛い理由があった。

友達が楽しそうに「お母さんの話」をするのが、羨ましくて仕方がなかった。

家族で行った旅行の話。

お母さんと一緒に買い物した話。

みんなが当たり前のように話すエピソードが、私にはひとつもなかった。

「いいな……」

そう思いながら聞くのと同時に、自分にはそれがないという悲しさも感じていた。

仲良くなればなるほど、自分に「ないもの」を突きつけられる気がして、私は深く関わることを避けていた。

今ならわかる。

私は友達を作るのが苦手だったんじゃない。

友達を作れない事情を、ひとりで抱えていただけだったんだ。

◆ 帰り道の20分と、玄関の前の数分

帰り道は、友達と一緒だった。

何気ない話をして、笑いながら歩く20分間。

その時間だけは、私はどこにでもいる普通の小学生だった。

でも、友達と別れて一人になった瞬間、現実に引き戻される。

玄関の前に立つと、足が止まった。

すぐには開けられなかった。

ドアを開ける前に、気持ちを整える必要があった。

さっきまで友達と笑っていた自分を、心の奥にしまい込む時間。

ドアの前で深呼吸をして、また「良い子」に戻る。

それから、ゆっくりとドアを開けた。

朝は、継母の部屋のドアを開けるのが怖かった。

夕方は、家の玄関ドアを開けるのが辛かった。

1日に2回、ドアを開けるたびに、私の心はぎゅっと縮こまっていた。

友達と笑い合った20分と、ドアの前で一人立っていた数分。

どちらが本当の私だったんだろう。

今でも、ときどき考えることがある。

◆ いま、学校だけが逃げ場になっているあなたへ

夏休みが始まる前日の夜、私はいつも憂鬱だった。

明日から学校がない。

あの優しい先生にも会えない。

長い長い休みを、あの家で過ごさなきゃいけない。

周りの子どもたちが「やった!夏休みだ!」と喜ぶ中で、私はひとり、布団の中で憂鬱な気持ちを抱えていた。

当時の私は、自分が変なんだと思っていた。

でも、違う。

学校が好きな子どもが変なんじゃない。

家が安心できる場所じゃない子どもが、学校に逃げ場を求めていただけなのだ。

もし今、あの頃の私と同じように、学校だけが唯一の逃げ場になっている子どもがいるなら伝えたい。

あなたがおかしいんじゃない。

その環境がおかしいんだよ。

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